今回の長崎の旅行は高校(カトリックの女子高で長崎の聖母会が運営の東京校)で
お世話になったシスター(先生)を30数年振りに訪ねていくためでした。
シスターは浦上からバスで40分ほどの山の上の修道院にいらっしゃいます。
行く前に浦上では原爆資料館~長崎平和公園~浦上天主堂と見物して回りました。
平和公園の「祈りのゾーン」には原爆で倒壊した浦上天主堂の遺壁として聖堂の一部だけが
移築されていました。
原爆資料館では原爆で倒壊した浦上天主堂のレプリカがあり、ロマネスク様式の
東洋一美しいと謳われた天主堂のあまりにも無残な姿に言葉がありませんでした。
「願いのゾーン」には長崎の鐘があり、鐘の下でボランティアの方に「お水をかけてください。
それが被曝され、亡くなられたた方々の何よりの供養となります」と言われ、
お水をかけさせていただきました。
今年の夏はとても暑く、ただ暑いだけでもつらいのに、こんなに暑い日に原爆が落とされたのだと
胸が締め付けられる思いがしました。
平和祈念像は清らかな水の上にあり、観光客として、私も静かに平和を祈りました。
お会いしたシスターは浦上出身の方で、懐かしい高校のお話と原爆後の浦上の
お話をしてくださいました。現在の浦上天主堂は江戸時代、禁教の踏み絵が行われた
庄屋屋敷の跡地に殉教の証しとして建てられたそうです。
浦上天主堂には原爆で倒壊した天主堂の石像が残されており、天主堂の中には
奇跡的に発掘された木製の「被曝マリアの像」がありました。
この写真を撮っている時、ちょうど鐘が鳴り、これが長崎の鐘の音なのかと思い、
その話をシスターにしたら、「今は鐘の音を再現したチャイムの音かもしれないね。
昔は信者さんが鐘をついていたのだけど、人のすることなので、時間が少し早かったり、
遅かったりすることも多くてね。でも教会の鐘は時間を知らせるものではなく
お祈りの時間を知らせるもだからね。それでよかとよ」と。
浦上は祈りに満ちていると思いました。
修道院ではせっかく来たのだから祈っていきなさいと言われ、娘と一緒に静かに祈ってきました。
行くまでは「カトリックって何?シスターの存在自体がよくわからない」と言っていた娘も
この時だけは静かに祈っていたようでした。
私がカトリックにふれたのはたった高校の3年間で、その後もこれからもカトリックに
ふれることはないと思います。それでも何か心を動かされるものがあるとすれば、
それはマリア様の思し召しというものでしょうか。
カトリックのこともキリスト教のことも難しいことは分からなのですが、
マリア様の教え、寛容と慈愛と祈り(マリア信仰)が親しみやすさを感じるのでしょうね。
帰る時シスターに「またいらっしゃい」と言っていただき、きっとまたお会いできるよう気が
してきました。
というか、長崎港のスターバックスと帰りの長崎空港で五島列島の教会の美しい写真が
飾られていて、「五島列島へ行こう」のキャンペーンにすっかりやられたと思いました。
カメラを買い替えていつかまた行きます。
シスター(先生)どうかお元気で。