まだお片付けしてないの?

web整理収納アドバイザーのbeeです。アメブロからお引越ししてきました。今までアメブロでは自分の友人に向けて書いてきたので、あまり言いたいことが言えなかったので思い切って新天地でやり直すことにしました。 ネットの世界は年齢も性別も経験も関係なく自分を表現できる場。 私は自分の同世代±10歳の方々に向けて声を大にして言いたい! まだお片付けしてないの? このままじゃ人生終わっちゃうよ。 お片付けして大人可愛い人生を送らない? 年齢なんて自分についた記号や数字にすぎないでしょ。 お片付けして、お家を綺麗にして、大人可愛くなって、ローコストで暮らす知恵を持つ。 それを実践していくブログです。

お片付けができない人に伝えたいたった2つのこと。 1・お片付けができないのはあなたのせいじゃないの。お片付けの仕方を知らないか習ってないだけ。片付けや整理についての学術研究はなされてないの。だからちゃんとできるほうが不思議なくらい。 2・お片付けの基本はたった2つ。それを「こんまりさん」はときめきって言ったの。 じゃあ、どうするの?それはこのブログを読んでね。

2014年12月

年賀状まだ書いてないです。



今年は余裕があった筈だったのに。もう今年も終わり……。


年賀状だけでつながっている友人も多く(というか、大半かな)何とかしたい。


宛名は自筆にするのでお正月が終わるまでには出します。ほんとごめんなさい。


さて、このクマ、マドレーヌです。


cuoca×CHIYODAくまちゃん8個型 の焼き型が発売と同時に売り切れ、


2回抽選落ちしてやっと購入できました。


嬉しくて、今日、早速焼いて、娘に顔を書いてもらって、お正月仕様に。


シェル型のマドレーヌはいつも焼いていたし、友人たちにもあげ尽した感があるので、


そろそと新作が欲しかったのよね。


味はいつものプレーン味とチョコ味。


でも「クマ」にすると貰った時の嬉しさが違うかなと思って。



この写真可愛く撮れたので年賀状に使います。








「私、ほんと怒らないんだよね。」


友達に話すと、「何それ、お掃除効果なの。」とか、「新手のお掃除セラピーなの。」


とか、よく言われます。


それなりに社会人もしてるので、怒りの感情をぶつけられたり、


感情的なメールを受け取ったりもしますが、それに対して怒りの感情を自分がぶつけることは


ほとんどないです。もちろん家族にも。


感情的に不安定になることはしばしばあるけど、そういう時はイギリスのバンド


オアシス(Oasis)を聞きながら、雑巾にアロマオイルを染み込ませて床を拭くと


すっきりするので、まあ、「新手のお掃除セラピー」というのもあたっているかも。


オアシスの曲「Don't Look Back in Anger 」は映画「ベックBECK]のエンディングに使われたので


馴染みの1曲。


ノエル・ギャラが-とリアム・ギャラガーの兄弟バンドで曲のほとんどはボーカルのリアム。


俺様キャラでライブでは「お前えらのために歌ってやるぜ」なんていっちゃう。


でも世界的なヒットは兄でギターのノエルがボーカルの曲が多い。


もう何年も前のことだけど、「Don't Look Back in Anger 」(ノエルのボーカル)をリビングで


結構な音量で聞いていたら


主人「この曲、君の人生のテーマ曲にしたら。」


私「え、何で。」


主人「Don't Look Back in Angerって歌ってるでしょ。」


私「え、だから。」


主人「怒りで過去を振り返るなっていう意味だよ。君、怒ってばっかりいるでしょ。」


私には洋楽のボーカルは音の一つとしか聞こえないけど、帰国子女の主人には


ボーカルの歌は意味のある言葉として聞こえるんだ。


こういう時、「英語脳」がある人が不思議にも羨ましくも思う。


主人も歌詞をじっくり聞くわけでないので、歌の意味全体はよくわかないけど、


サビは何度もリフレインされるので、意味が入ってくるらしい。


この頃は長男のことよく怒っていて、家族も嫌な思いしていたのだあと深く反省。


そう言われて以来、怒りの感情は人を不孝にする一番の原因なのだと思うようになった。


邦訳では「過ぎたことに怒らないで」とか、「怒りにかえちゃいけない」とかあるけど、


私は主人がさっらと訳した「怒りで過去を振り返るな」という直訳


が一番気に入っています。


毎年年末になると、改めてこの曲を聞いて、今年もそんなに怒らなかったなと。


Don't look back in anger


Don't look back in anger


Don't look back in anger

At least not today

もう昔のことだけどね。


来年も怒らない年にしよう!


























ちょっとした庭

家を片づけて、食を減らしその先にあるものは、「美しく枯れた生活」だと思っていました。


例えて言うなら、「ターシャの庭」のターシャ・チューダ、「西の魔女が死んだ」の祖母、


もっとイメージしやすいとすれば、「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の双子の姉・銭婆。


ナチュラルガーデンでハーブに囲まれた優しく、素敵なおばあちゃん。


でも、いくら家を片付けても都会の狭小住宅に暮らす身としてはそれは無理。


というか、それ以前に「枯れる」ってまだ無理だなと。


長男に「楢山節考」を元にした二次小説をレポートとして提出するから、


短いし、読んてみたらと言われ、映画は見た覚えがある「楢山節考」の原作を読みました。


内容は映画で見た通り、家族のため、食い扶持を減らすために、70を迎えた冬に


喜んで、楢山に捨てられに行く、「おりんさん」。


雪の降る中、寒さと飢えに震えながら念仏を唱えながら気高く死んでいく。


その一方で最後まで捨てられることを拒み、逃げ出すも捕えられ、ぐるぐるに縛られ、


それでも死にたくないと息子にすがりつき、蹴り落とされる隣の「又やん」に


見苦しい、潔くすればいいのにと思ったことを思い出しました。


しかし、今読み返してみると、家族のために気高く死んでいく「おりんさん」より、


見苦しく、生に執着する「又やん」の姿に人間そのものを感じるのです。


自分が50歳を過ぎて、捨てられる側に近づいたからでしょうか。


というか、この現代社会で家族のために喜んで捨てられることを望める


老人なんてどこにもいない。みんな「又やん」だと。


私の「美しく枯れて生きたい」なんて、底の浅い恰好つけたスタイルに過ぎない。


であるとしたら自分も「又やん」のように、生への執着を自覚すべきだと。



自分が所属しているNPO法人で開催しているパソコン教室にいらっしゃる70代の


おばあちゃまたちによく


「あなたはまだお若い、まるでお譲さんのように可愛らしい」と言われることがあります。


(もちろん相対的に見てというのはわかっていますよ)


(そういってくださる方のお一人に放送大学の客員教授をされている方がいて、


私はその方が好き過ぎて、来年3年次に編入することを決めてしまうのだけど)


70代の素敵で可愛らしいおばあちゃまたちからすれば、あなたはまだこちら側に


来るべきではない、無理して枯れることはない、それは自然に任すべきなのだと


いうことなのでしょうね。


なので、自分のなかの枯れきれない思いと向き合うことにしました。


物欲にまみれるとか、飽食に溺れるとか、そういうことはないと自信があるのですが、


「綺麗になりたい」とか「可愛らしく愛されたい」とい女性であることの執着がまだ自分に


残っていて、「今更何言ってるの私」と無理に抑え込んでいたのを解放してあげることに


したのです。今、思い残すことなくちゃんと「綺麗で可愛らしく」なっておけば、


その時がきたらちゃんと枯れることができるように。


というわけで、私、綺麗になろうって。それこそ、見苦しいまでもなってやろうと。



でも実際に私に会って「え、これで?」とか、「え、どこが?」とか、「どの面下げて」とか、


思っても口にしないでね。あくまでも自分の主観の問題だから。



楢山節考 (新潮文庫)/新潮社

¥464
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ブログのヘッダーに使ってる写真、キリスト生誕を再現した人形飾り。


スペイン駐在していた友人にいただいたもで、「ベレン人形」と呼ばれています。


「ベレン人形」を載せているのはフランス駐在経験のある友人に教えてもらった


カルトナージュの箱で、彼女はこの人形のことをフランス風に「クレッシュ」って


言っていたなあ。クリスマスの時期になると思い出が重なっていく。


さて、先月、大学卒業30周年に参加してきました。


30年振りに会うと、もうすっかりみんな学生に戻っていて(気持ちだけだけど)


思い出話にると必ず


「ノンちゃん(私のこと)覚えてる~?ノンちゃんがここでさあ、なんたらかんたら……。」


っていつもの話の後に


「ノンちゃんがクリスマスに着ていた赤いワンピース、可愛かったね。」と


自分でも忘れていた話を友人にされて、ちょっと照れてしまった。


そのワンピースは友達から借りたもので、彼女はその赤いワンピースがとても


似合っていて、可愛くて、羨ましくて、借りたんだった。



大人のおしゃれ練習帖 」の大草直子さんと同じく、私も今では断然パンツ派。


でも、本にも「女性らしく装いたい時はワンピースで」とあって、


時期的にワンピースが着たくなった。ジャージー素材の着心地がいいやつ。


ワンピースは同窓会用に買った1枚しかないので、ちょっとローテーションが


ヘビーになりすぎ。


赤いワンピースはさすがに、「あれ、もう還暦だっけ」といわれるのがオチなので


暖色系の色が入ったワンピースがいいな。


で、自分の人生に足りないのはワンピースのような気がしてきて、


私「ちょっとワンピース買ってくる」


娘「ついでに買ってきてほしい参考書があるんだけど。」


私「紀伊国屋には行かないよ。」


娘「どこ行くの?」


私「高島屋。」


娘「え、」


私「え、」


やだ、ワンピース(仲間と冒険するほう)を箱買すると思われてる。悲しい……。


赤いワンピースを貸してくれた友人が、そのベレン人形をいただいた友人で、


「赤はいいよ。決められるよ。」っていうようなアドバイス付きで貸してもらった


記憶がある。


今度会う機会があったら、「あの時のワンピース、赤は確かに決められた。」って


お礼しなきゃ。あの時はありがとうって。






まだ、アコースティックギター続けています。相変わらず練習しないし、うまくはならないけど。


今年の7月にはライブ(正確には大人の発表会ね)で高良健吾似の青年、


本当に似てたんだよね。声も綺麗でさ、青年に恥かかせられないと思って、


今までで一番練習して猿岩石の「白い雲のように」をやったのですが、発表会の後、


青年が辞めてしまったので、今は違うクラスに混ぜてもらうことになりました。


高良健吾似の青年のことは名前しか知らなかったので、今日みたいに雨で寒い日には


大丈夫かな、ちゃんとやれてるかな」なんて勝手な心配をしてしまいます。


もちろん余計な心配であるの分かっているけど、それでもどこかで元気にやっていて


欲しいなと思ってしまいます。


で、来年は斉藤和義さんの「ずっと好きだった 」なんかやりたいなあ。





ライブ(正確には大人の発表会ね)でこの曲やるグループ多いし、一昨年だったかな、


ソロでやった人が途中で止まってしまって、ほんと「がんばって」って祈りながら聞いてた。


ボーカルは男性にやってもらって、私はサイドギターでね、横で嬉しそうに


コードをジャカジャカと、でもミュートをかっこよく切りながら弾くっていうのをやりたい。


でも混ぜてもらったクラスなので、なかなか言い出せない。


「私、30年振りの同窓会で「ずっと好きだった」って言われたんですよ~。だからこの曲!」と


話を盛ってみるのも手かな。


でも可哀想な人って思われるのがおちだしなあ。ほんと、どう切り出そう……。


















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