まだお片付けしてないの?

web整理収納アドバイザーのbeeです。アメブロからお引越ししてきました。今までアメブロでは自分の友人に向けて書いてきたので、あまり言いたいことが言えなかったので思い切って新天地でやり直すことにしました。 ネットの世界は年齢も性別も経験も関係なく自分を表現できる場。 私は自分の同世代±10歳の方々に向けて声を大にして言いたい! まだお片付けしてないの? このままじゃ人生終わっちゃうよ。 お片付けして大人可愛い人生を送らない? 年齢なんて自分についた記号や数字にすぎないでしょ。 お片付けして、お家を綺麗にして、大人可愛くなって、ローコストで暮らす知恵を持つ。 それを実践していくブログです。

お片付けができない人に伝えたいたった2つのこと。 1・お片付けができないのはあなたのせいじゃないの。お片付けの仕方を知らないか習ってないだけ。片付けや整理についての学術研究はなされてないの。だからちゃんとできるほうが不思議なくらい。 2・お片付けの基本はたった2つ。それを「こんまりさん」はときめきって言ったの。 じゃあ、どうするの?それはこのブログを読んでね。

2015年08月

今日はお休みなので朝からお掃除。

他にすることがない・・・。掃除でもするかって感じ。

でも疲れたら午前中でお終い。明日もあるので、今日は玄関まわりで明日はリビングの予定。

毎日掃除するの?とか聞かれることあるけど、毎日はしてないです。休日に気になったところをまとめてするのが習慣になってしまってる。

今日は玄関のたたきも水洗いして、床も水拭き。床は年に一度くらいダスキンさんにお願いしてワックスかけてもらってるので、気が向くと水拭きしてるような感じかな。

久しぶりなのでアロマオイルを少し雑巾に含ませて水拭きしたら、床からほんのり香がするのが気持ちいい。

アロマオイルを少し含ませるのは私は好きだけどおすすめはしないです。フローリングによっては染みなってしまう場合もあるしね。

玄関のたたきの水拭きにもアロマオイル含ませたけど、自然乾燥を待ってるとほんのりと香が漂ってくるのが気持ちいい。玄関を開けておくと風が吹いてきて、気の流れが変わっていくような気がする。

不思議と玄関の掃除だけはすごくスピリチュアルなことを求めてしまう。あと、トイレ掃除も。

家族の運がよくなるといいなとか、今だと娘の受験がうまくいきますようにとか、なんとなく願いごとしながら掃除してしまう。

写真だとアロマの香が伝わらないからほんと残念。
今年で築25年目の狭い玄関だけど、綺麗すると誰か来ないかなあって思う。

宅配の方や郵便局の方とかが来て、ほんの一瞬でもいい香りがするって思ってくれたらすごく嬉しい。

 

 
  


ミニマリスト:最小限主義者

中学の同級生にマドレーヌあげたら後日お礼のメールがきて「女子力が高くていいね」って褒められた。思ってもみなかったのでちょっと嬉しい……。

お片付けしてお掃除してお菓子作ってたら、「女子力」高く見えるかぁ~。
もっと早く気が付けばよかったかな。女子力高い50代、昔だったら当たり前だったのだろうけど、今は多様化の時代だからそういう人もありってことで。

さて、女子力高いと褒められたところで、「ふきん」について思うこと。

キッチンもできるだけモノを置きたくないので、食洗器は使ってないです。正確に言えばビルトインで古く使い勝手の悪い食洗器があるにはあるけど、使ってないので、置き型タイプを持ってないよって意味で。

あ、食洗器の是非については語らないです。必要な方に必要なモノなので。

食器は手洗いなので、ふきんには気を遣う。以前友人が「ふきんをキレイに保つ」のが難しいって言っていたなあ。

そうなんだよね、使ったふきんの置き場所って意外と決まっていない。私もふきんはまとめて洗って干してを繰り返してたんだけど、面倒くさくなって、やっとちゃんとした「ふきん干し」を買いました。


娘は学校の家庭科室みたいって言っていたけど、学校とか、お店には必ずあるのに、家庭にはない、ほんとうはあれば便利なのに。どうして誰も教えてくれなかったんだろう。

拭いたらすぐ干す。

時間があればまとめて洗って干すようにはするけど、すぐ干すとこでずっと清潔な環境になった。ちょっとしたことだけど、すごく大事(当たり前のこと言ってるのは十も承知の上で)。
娘が家庭を持つようになったら絶対持つように言う!

ふきんは以前は「白雪ふきん」を使っていて、ちょっとしたお礼とかプレゼントには今でもいいなとは思うけど、自分では使ってないです。
きっちり糊付けされていて、使う前に煮るのがちょっと面倒になってきたのがその理由。

今は「布ガーゼふきん キッチンクロス」。糊つけされてなくて、吸水性がよくて、さわりごごちもいいから。


毎日使う「ふきん」をちゃんとすることで、今更だけど、キッチンに自信がでてくるから不思議。

とにかく女子力高めたい方には「ふきん」をきちんとすることおススメします。




ミニマリスト:最小限主義者

持ってるものは少ないけど、持つと決めたものは大事にしてる、つもり。
人との縁も少ないけど、縁のあった時は大事にしていこうと思ってる、出来るだけ。

先日、実家に顔を出すのにマドレーヌを焼いてかご盛にして持っていったら、母に近所の方が私の近況を聞いてきたので挨拶してこいと。
行く前に言ってくれればその方の分も焼いて行ったのに、なんて気が利かないんだとイラッとしたけけど、母にはかごからマドレーヌを2~3個取り出して、テーブルの上に置いて、かごの隙間を埋めるのに台所にあった葡萄(高いか母に聞いたら結構高かったといわれたので)をいれて近所の方の家にご挨拶に行ってきました。

近所のお家に向かう道すがら、そう云えばかご盛りって以前は果物だったなあ、あとお砂糖で作られた鯛が乗ってたり。お盆の時期に田舎で見た風景をふと思い出してしまった。

その方は私が小さい時に可愛がってくださったおばちゃんで、それはそれは喜んでくれて、こういう時、手作りのマドレーヌを持っててよかった。
その方のお譲さんのお古のお洋服をよく頂いていたなあ。そうそう、今思えばかわいワンピースが多くて、いただくのが楽しみだった。
私がワンピース姿にかごにマドレーヌいれて持っていたので、その方にしてみたら小さい時のまま50年が過ぎた人に映っただろうな。
今のワンピース好きの原点ってここだったかもしれない。

小学校に上がるころは痩せてボーイッシュな感じだったような気がするから、記憶の中の幸せだった時期を再現したくなるのかもしれない。。
人の経験の記憶はあちこち偏在しているようで、どこかで繋がっている。
私もそろそろ人生の統合化の時期に来てるのか、いや、本来なら人生の統合化の時期は老年の発達課題の一つであるので、自分にとってはまだ時期的に早い。
人は余裕が生まれると自分とは何かを考えるように出来ている。今していることはワンピースを着てニコニコしていた自分をつなぎ合わせているような感じ。

余計なモノをそぎ落としていったら、もっとも原初的な自分が出てきたとか。
こういうこと詳しく知りたい方は
ガラクタ捨てれば自分が見える」がおススメだし、それこそモノを片付けてしまうことをおススメします。


 

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ミニマリスト:最小限主義者

ワンピースは今7枚。長袖×1、7分袖×3、3分袖×1、ノースリーブ×2、夏のワンピースは3枚。

ショップはもう秋の装い。一番暑い時期に秋なんだなあ。夏のセール品も見かけなくなってきた。
ほんと女の人って大変、やっぱり買わされてる。

友人に「私のワンピース姿慣れた?」って聞いたら、「別に慣れるも慣れないもそういう人なんだって思うだけだけ。」って言われた。ちょっと自意識過剰だっかな。自意識過剰は他者にとって鬱陶しいので気を付けなくては。

夏休みということもあって、昼間から「シャルドネ」(銘柄は覚えてない)1本を二人で飲みながらワンピース最強説を熱く語りだす。

私「女性は過剰に服を買わさていながらも、常に不足感を持たされている。クローゼットに服を大量に所有しながら『着る服がない』と思わされている。
おしゃれのセンスがないのを自分のせいにするのは理不尽。似合う服が見つかるまで買い揃えるように仕組まれている。
不必要に服に煩わされたくない。服を最小限に持ちながら、そこそこに見えるようにするにはどうしたらいいかを考えての選択がワンピースなの。」

友人「わかった。わかった。今度はそういうスタイルなのね。っていうか今までなんでメガネにパンツスタイルだったのかのほうが不思議。今の方が本来の自分であればそれでOKでしょ。どうせならもっと派手なの着れば。」

自分のスタイルなど他者からみればどうでもいいことに過ぎない。だからこそ、この夏はワンピース3枚で堂々と過ごせばいいのだ。
でも持ってる服が少ないことにちょっとコンプレックスを持ってるし(自分で「ミニマリスト」ですって自称しながらだよ。女の業はどこまでも深い)、いつも同じ服着てることについ言い訳がましいことを言ってしまう。

自分、まだまだだなあ。








 ミニマリスト:最小限主義者

「どうして何でも捨てられるの?」
「物に思い出があるからどうしても捨てられない。」ってよく言われる。

十数年前になるけど、着なくなったワンピースを処分してたら、主人に「そのワンピース、一緒に旅行した時に着てたものでしょ。思い出も捨てちゃうの?」って言われたことがある。
まあ、ずいぶんとセンチメンタルなことおっしゃるのねと思ったけど、そんなこと言っていたら生活全てが思い出の品となってしまう。そんなの重くてたまらないと思ってあっさり捨ててしまった。

物って記憶の媒体もしくは外部装置だとすれば、私ははあまり必要としない。
自分の記憶のみで十分だと思ってる。記憶は薄れたりするけど、忘れるわけでなく、思いだせないだけ。思い出せないくらいがちょうどいい。
物は時間の経過共に色褪せて、劣化していく。思い出の詰まった家とか思い出の詰まった何とかとか…この言葉、耳触りはいいけど、この言葉で物を持つことを良しとした老親の家に苦労してる人も多い。
私たちは新しい価値感と新しい言葉がそろそろ必要なのではと思う。

特別な記念の品であれば別だけど、自分のような庶民レベルでそんなものないしね。
思い出の物ばかりに囲まれていたら、私はちょっと鬱陶しいって思うな。

つい先日、電車の中で3歳くらいの麦わら帽子でワンピースの可愛らしい女の子を見かけて、ふと、こんなに可愛らしくて、柔らかい子を抱っこしたのはいつだったろうとぼんやり考えていたら、写真のオラウータンの赤ちゃんを抱っこしたのを思い出した。
普通だったら自分の子供の小さかった頃を思い浮かべるのだろうけど、記憶の筋道って不思議だなあってつくづく思う。
自分の頭の中もデフラグできたら、もっとすっきるするんだろうけど。

写真の整理もしておこうと思ったから思い出したのかもしれないけど。
写真、娘に見せながら

私「見て、可愛いでしょ。」
娘「オラウータンの赤ちゃん、ほんと可愛いね。」
私「ううん、お母さん。」

娘「うわぁ~、やめて~。まじ、ひくわ~。でもお兄ちゃんより、可愛いのは分かる。」

主人にもちゃんと伝えればよかったのだけど思い出は捨てられない、物は捨てても思い出は記憶の中にちゃんとあるって。記憶の媒体は物でなくでも、ちょっとしたきっかけがあれば大丈夫。

このオラウータンの赤ちゃん可愛かったなあ~。

大丈夫、物はなくても思い出はちゃんと残ってる。

 








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