私たち家族は2世帯で主人の両親と共に生活しているのですが、


最近になって、義母が家の片付けを始めました。


お片づけ本には片付けやそうじの効果は波動となって遠く離れた人でも影響することがある


と、いうようなことがよく書かれていますが、ついに義母にもその影響が表れたと思うと嬉しい限りです。


そういえば、3階(私たち世帯)のリビングにきて、


「ほんとに物がないのね~。」とよくおっしゃっていて、おそらく最初の頃は


”この嫁は何でも物を捨ててしまって、物を大事にしないんだから”くらいに思っていたのでしょう。



好きなこと 好きな物 


それが、10月に1階の仏間を綺麗にしたいということで、簡単なリフォームをすることになり、


それにともない、家にある不要な物を片付けることになったのです。


そうはいってもなかなか物を捨てるには抵抗があるらしく、古道具屋さんに声をかけたりして、


すごく古い着物や年代物の道具などはかなり引き取ってもらえたようでした。


義母に何か持っていかない?とよく聞かれたのですが、何も貰わないでいたら、


「ほんとに何にもいらないのね~。」と寂しそうに呟かれて、少し申し訳ない気分になりました。


戦前、戦中、戦後と物のない時期を過ごし、戦後の復興と高度成長期に


物を持つことが富と豊かさと成功の証しとばかりにずいぶんと買い求めたのでしょう。


それでいて、物を捨てることに罪悪感がある年代の方なので、物はたまるばかりです。


いつか役に立つ、これをあげれば喜ばれると信じてきたのに、


役に立つことも喜ばれることもなく、大量な不用品が一部屋占拠していたのですが、


それを思い切って捨て始めた姿には精神の若さを感じます。


仏間がすっきりしたのがとても気持ち良かったのでしょう、


「断捨離っていうのかしら。捨てるとすっきりするのねえ。」と嬉しそうにおっしゃっていました。


ある女優さんがテレビで物を全て処分してしまい、本当に必要は物だけて暮らしていると


いうのも見て、改めてご自身たち生活を見直してみたようで、


「年寄りに本当に必要なものって、ほんの少しでいいのねえ~。」


価値観の大きな転換を受け入れた義母は同志のように思えてきました。


「ねえ、ガラクタ部屋、だいぶ片付けてもうほとんどないのよ。見て、見て」と言われて


納戸にしている部屋を開けたら、あらまあ、物だらけ。


義母と私は見える世界が違うのだとあらためて思いました。