2世帯住みで、主人の母が入院していしまい、残された義理父が一人で生活しやすいように

老親の部屋を片付け中。


キッチン、洗面所は平日は仕事があるので、土日を使ってほぼ一か月かかって終了。


老親の家の片づけは筆舌に尽くしがたい大変さが。


キッチンをの戸棚の中は食器で埋め尽くされ、余った空間には、お弁当についてくる


割りばし、醤油、お手拭きの類が詰め込まれて、とにかく物であふれかえっていること。

ほんとお城の壁、食器をゴミで塗り固めて作られた城壁って感じ。


さらに、追い打ちをかけるのが、食器が洗い残しのまま積まれていこと。

結局すべて、洗い直しで……。まあどこの老親宅でも同じなのだとは思うけど。


さらに悲しいのが、結構いい食器が無造作にあちこちに放り込まれていること。


ほんと香蘭社の食器があちこちから出土されました。


写真の急須と湯呑は深みのある藍色に蘭のデザインで今はあまり見ないタイプのようなので


気に入っています。主人に


私「香蘭社の湯呑でてきたけど、見覚えある?」


主人「欠けた湯呑と、茶渋についた湯呑しか知らない。高級なの見たことない。飲んだことない。」


とのこと、これも「老親あるある」の一つなのだろうな。


まあ、然るべき時が来て、家に親族が集まったとき、困らないように、


急須、湯呑、箸、箸置き、小皿などきちんと集めて使えるようにしておきます。


老親の家の片づけをしてつくづく思うことは、高度成長期の豊かさって何。


日本人総中流と言われたのは、日本人全員に使いいれない、持ちきれないほどの物を


持たすことによって、作られたものだったのね。


人間一人が使える量はたかが知れているのに。


結構いい食器といっても、使い人がいなくなればいづれは処分しなければならないし。


すべては過ぎたるは及ばざるが如し。