2世帯住で主人の母が入院してしまい、残された義理父が一人で生きやすいように、


暮らしやすいように老親の家を片付け中。


お風呂については特に頼まれはしなかったのですが、掃除しやすいように(私がね)


片付けることに。


もう、驚きはしないけど、お風呂場にも所狭しとシャンプー、リンス、コンディショナー、


ヘアパック、ボディソープ、かぴかぴの小さくなった石鹸多数にぐにょぐにょの石鹸、


よくわからないお風呂場の置物などがあって、掃除も行き届いていない状態。


全て処分するつもりで、義理父に

私「お風呂場に必要なものは何ですか」と聞くと


義理父「石鹸かな。あと、体洗うスポンジと腰掛と桶」


私「シャンプーはどうします?」


義理父「使ったことないからいらない。」


私「じゃ、それだけにしておきますね。」ということで、


風呂場に出ているシャンプー類を全て処分していると、


ふと、主人の母が「まだ、残っているのに、もったいないじゃない」と言っている姿が浮かび、、


「勿体ないなら、全て使いきってからにすればいいのに」と反論しそうになりますが、、


たとえ、私の頭の中であっても水掛け論(お風呂場だけに)になるのはよくないので、


「化学製品は劣化するので、弱った体にはよくないですよ」と、


いかにも心配しているかのような会話(頭の中の)にしています。


全て処分して、お風呂場を綺麗にしてから、ご希望通り、石鹸一つとスポンジ一つだけを


置きました。ほんとすっきりした。


ふと、NHK「坂の上の雲」の秋山大尉の「身辺は単純明快なほうがいい」というセリフを


思い出しました。軍人の経験がある義理父にも通じるところがあるのでしょうね。



お風呂場、洗面所、キッチンを綺麗にしていくと、主人の母の存在が薄れていきます。


ちょっと申し訳ないような、可哀想な気になりますが、


風の通る綺麗な空間には人の存在を感じなくていいと思う。