2世帯住みで主人の母が入院してしまい、一人残された義理父が生きやすいように、


暮らしやすいように老親の家を片付け中。


老親の家にはとにかく物があふれている……。


片付けていて思うことは、老親の家そのものが、生活のための家というより、


収納スペースというか、物が放り込まれた納戸のようなものだということ。


いったい何があふれているかというと、高度成長期から今に至るまでの豊かさを


実感できた物たちなのでしょうね。


でもそれは彼らの世代の豊かさであって、子世代にとってはただのお荷物。


彼らは大きな納戸の中で暮らしているようなものなので、とにかく生活しずらい。


義理父が生活しやすいように片付けていくと、老親が生活するにはそれほど


物が必要ないことが分かってきます。


つまり、


老親の家から生活必需品と残したい物(家の場合は香蘭社の食器とか)


を引くと、残りは処分すべき物+ごみとなること。


彼らが豊かさを求めて、資産になると信じて、子世代に残して喜ばれると信じて


貯めて、貯めてきた物が子世代にとっては、孫世代にとっては尚更の


不用品であり、精神的にも、言葉通りの意味でもお荷物だというと。


また、使わなくなった物も後生大事に保管している上、さらに追い打ちをかけるかのように、


大量生産と過剰サービスの産物である、使い捨ての物を勿体ない精神で捨てずに


取ってあること。


不用品であふれた納戸のような家は「千と千尋の神隠し」の湯屋に訪れた


ゴミとヘドロで汚された川の主(神様?)を思い起こさせます。


千が川の主を綺麗にしてあげていたけど、老親の家からごみと不用品を取り除いて、


家を生活の場として取り戻してあげるのが子世代のお仕事なのかしらね。


老親の家の片づけはまだまだ続きます。