今日は娘(高3)の体育祭(娘の学校ではスポーツフェスティバル、略してスポフェって呼ぶ)。
娘の学校行事の「おっかけ」も、もうすぐ終わりだなあ。
これで見納めかと思うと寂しくもあり、これからは自分の時間を生きなくては。
高校時代は一生物、娘は大人になって高校時代を振り返った時何を思い出すのだろう。
いい思い出であるのを心から願うばかり。
さて、自分の掃除、片付けの原点はカトリックの女子高時代。
小高い山の上にある学校で、山全体に手入れが施されていて、祈りの場となっていました。
いつも高校の玄関前を掃除して、木々の手入れをしているシスターがいらっしゃって、
そのシスターに「いつまで掃除をされるのですか。」と、いうようなことを聞いたことがあります。
高校生の自分としては、社会のイメージとして掃除は下働きの一つのような感じで、
上の仕事があるのかと思っていたのです。
シスター、今思えば、まだ20代後半くらいの方だったのかもしれない、
一瞬困惑したような顔をされましたが、毅然として
「私の一生の仕事は、学園の掃除と木々の手入れです。」とお答えになりました。
高校生だったとはいえ、まだ若いシスターを困らせてしまった。
修道会には修道会の世界があるのだ。
この質問が正しかったのかは今も分からないですが、シスターの答えは正しかった。
今、はっきり分かります。
掃除、片付けは女子一生の仕事足りうるものだと。
女子だから掃除、片付けをして当たり前ということではなく、
掃除、片付けは一生の仕事ととして選ぶ価値がある、職業としてはもちろんのこと、
生きている限り、掃除、片付けは付いて回るもの、食と同等であるべきもの。
もちろん、女子だけでなく、男子もあり。「掃除道」があるくらいだからね。
私が欲しかったものは一生続けられる何かだったのかもしれない。
子供たちの「おっかけ」に費やした時間とエネルギーを次に向ける物が欲しかったのかも。
綺麗になりたいと思って、自分に向けてみたけど、
それを一生続けるのはちょっと虚しい。
私もあの時のシスターのように、毅然と笑顔で
「生きている限り、掃除と片付けをし続けます。」と、ちゃんと言うのだ。
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