「ぼくたちにもうモノは必要ない。」を読んでからどうしても片付けられなかった手紙を処分することした。

処分するにあたってはシュレッダーを購入。こういう整理、片付けに関する道具って必要。

家庭用シュレッダーは音がうるさし、すぐオーバーヒートを起こすし、刃こぼれして使えなくなってしまうので、オフィス用の下位機種に。

手紙、カードの類はずっととってあったので、かなりの量。

どうしてこんなにとってあったのだろう。

私は「手紙を書く人」になりたかったのか、「手紙を書く人」って思われたかったのかなあ。

まあ、たぶんどちらもそうなんだろうなあ。

もらった分だけ自分も書いたのだろうから、不義理はしてないと思うけど。

とっておいてどうするつもりだったのだろう、自分がいなくなった後、娘に見つけてもらって「母はこんなにも手紙をもらった人だった」とでも思われたかったのだろうか。

結局は「me,me,me」どこまでも自意識過剰な自分が嫌。

私ってどうして「どう思われるか」を気にしてしまうんだろうな。でもそれももう終わりにする。
なりたい自分にはちゃんとなれてると思うから。

今でもそんな上手ではないけど、まあまあ美しくみえるように手紙は書けるもの。書く機会はぐっと減ってしまったけど。

言葉は贈り物。手紙は受け取った時点で成立している。

ちょっと読み返してみるけど、暖かい言葉が書かれる。

人は書き言葉になると丁寧て優しくなれるんだなあって改めて思う。

それだけ手紙、写真は他者がもっとも整理しずらいモノ。

はやりこういう類は自分の手できちんと処分すべきもモノだと思おう。

生前整理にはちょっと早いかもしれないけど、いずれやらなくてはならない事なので。

書いてくれた人に感謝して、ありがとうって思いながらシュレッダーしてる。

これでまた一つ、自分のアイデンティティを保証するものがなくっていく。