まだお片付けしてないの?

web整理収納アドバイザーのbeeです。アメブロからお引越ししてきました。今までアメブロでは自分の友人に向けて書いてきたので、あまり言いたいことが言えなかったので思い切って新天地でやり直すことにしました。 ネットの世界は年齢も性別も経験も関係なく自分を表現できる場。 私は自分の同世代±10歳の方々に向けて声を大にして言いたい! まだお片付けしてないの? このままじゃ人生終わっちゃうよ。 お片付けして大人可愛い人生を送らない? 年齢なんて自分についた記号や数字にすぎないでしょ。 お片付けして、お家を綺麗にして、大人可愛くなって、ローコストで暮らす知恵を持つ。 それを実践していくブログです。

お片付けができない人に伝えたいたった2つのこと。 1・お片付けができないのはあなたのせいじゃないの。お片付けの仕方を知らないか習ってないだけ。片付けや整理についての学術研究はなされてないの。だからちゃんとできるほうが不思議なくらい。 2・お片付けの基本はたった2つ。それを「こんまりさん」はときめきって言ったの。 じゃあ、どうするの?それはこのブログを読んでね。

ミニマリスト

手紙の整理は大変。なかなか終わらない。

前にも書いたけど、言葉は贈り物。送った時点、貰った時点で成立している。

どうしてこんなに取ってあったのだろう。読み返してみると、今でも続いている友人もいるし、年賀状のやりとりだけは残っている友人もいるし、終わってしまった友人も多かった。

ここ数年、何十年も会っていない友人から連絡をもらったり、卒業以来の同窓会の案内が届いたりと続いたけど、それも一巡したような感じ。

手紙やはがきを全部整理するにはまだまだ時間がかかりそうだけど、友人が一人も残らなかったらどうしよう……。なんてね。

人は成長に応じて付き合う人も変わってくるもの、自分がそうであったように他者もまたそうなのだと。一緒に過ごした時間が大事なのであってもうその証は必要ないと思える。自分には確かに成長の過程(この年になるまでの)で友人がいたのだと、もうそれで十分だなって。
手紙をくれた友人たちにはほんと感謝してこれを機に一度友達じまいをしておこう。

手紙類を取っていたのは孤独な人と自分で思いたくなかったのかも。

「ぼくたちにモノはもう必要ない」の著者もそんなこと言っていたけど、人は孤独を感じるようできている。

ただ、もうこの年になると、孤独な人であることはそんなに怖いことではないし、孤独な人と思われるのも案外平気なもの。

カフェはいつも一人で勉強に使っているし、見たい映画は一人で見てるし、たまにはビアカフェでチェリービールも一人で飲むし、行きたいところにはこれからは一人で行く。

飲み会に誘われることも年に数回程度で、ランチ会に誘われるのも娘が高校を卒業すればもう終わりだろうし、しばらくは(もしかしたらこれからずっとかも)一人でいることに慣れて、楽しむことにしたいなって。

その分、誘われた時の嬉しさや改めて他者と過ごす時間の楽しさを感じられるようになるといいな。

さて手紙に戻るけど残しておくものがあるとすればそれは手紙を書く道具だけ。

ボールペン(以前は万年筆を使っていた時期もあるけど、今ではボールペン派、0.7mmの油性でブラックつまり100円で変える物)と書きやすい一筆箋と白い封筒とはがきの類。
余程改まった相手じゃないと便箋は使わない。ちょっとしたお礼は一筆箋に白い封筒。

手紙は貰った数じゃない、大事なのは書いた数、送った数なのだと。ただ送った相手も整理に困るのかなと思うと、ちょっと考えちゃうけど。

そう思うと今の人は電子化されていていいなあ。削除もほんと簡単だし。

味気ないって言う人もいるけど、残らないことを考えるとそのほうがいいと今の私ならそう思う。

 













「必要十分生活」を読んでいたら、「お片付け本まだ読むの?もう十分でしょ。」と言われてしまった。

目新しいお片付け本、シンプルライフ本が出るとどうしても買って読みたくなるの。

一応、放送大学での卒論のテーマが片付けに関することなので、参考文献として読んでるというのもあるけど。

ミニマリストが「必要最小限」だとすれば、「必要十分」という考えた方のほうが穏やかでいい。

私、すぐ影響される。「持たない暮らし」も、もう6年目になるのにまだ確立できてない。

さて、「必要十分生活」の著者がこの生活に至る発端が「引っ越し」と「風呂掃除」というのが面白い。

お引越しはよくある話の一つであるけど、「風呂掃除」を突き詰めて考えるってすごいなあって感心してしまう。

お風呂をぴかぴかに保つのは難しい。

家の掃除のなかでも一番大変なのがお風呂掃除だと思う。洗剤を変えたり、いろいろしてみるけどなかなかどうして。

玄関もトイレも、キッチンもリビングも寝室も綺麗にできるけど、お風呂だけは無理。

なので家の場合は年に2回程ダスキンさんに掃除してもらってる。

ダスキンさんにピカピカにしてもらってからそれをどう保つかだけど、半年も経つとギブアップして、また来てもらうの繰り返し。この秋の長雨が終わったら来てもらうつもり。

この著者はそれができるからほんとうにすごい。ほんとに30代男性なの?ってちょっと疑ってしまうくらい。



タリーズとスタバ、最近ではすっかりタリーズ派。

放送大学の試験勉強をするのに利用させてもらってる。

タリーズのコーヒーは私には濃く感じるのでいつもカフェアメリカーノ、たまに本日のブレンドでトールサイズを頼んでBGMのジャズに飽きるまでいさせてもらう。

タリーズのトートバッグは「必要十分生活」の著者が大絶賛。なのに販売終了らしい。すごく残念。

「必要十分生活」の著者も30代とのことだけど、文体のせいなのかなあ、すごく落ち着いた感じがして、もっと年配の方かと思ってしまった。

自分自身の生活の自由さと機能を求めて、「生活の最適化を求めたらこうなりました」というのが読んていて面白い。

生活のルールは自分自身で作るもの。著者は自分のルールはあくまでも参考であって、正解はないので読者自身で見つけていくしかない、いわゆる指南書の類ではないのもいい。

お片付け本、シンプルライフ本で読んでいて面白いのはやはり「自分を語ったもの」。

人生に悩み「暮らしに答えを求める」文系男子と快適な人生のために「暮らしに機能を求める」理系男子、ざっくり分けて二つのタイプがあるとしたら、私は人生に悩み疲れる文系男子が好きだけど、参考にするなら理系男子の暮らし。やはり機能を求める姿勢が違うもの。

タリーズのトートバッグに話が戻るけど、私も国内の2泊くらいの旅行にはいつものバッグにトートバッグをプラスすれば十分と思ってる。ただ、娘が一緒だとあれこれ持たされてついついキャリーバッグになってしまうけど、自分一人ならほんといらない。

女の荷物ってなんでこんなに多いんだろうって男の人の気持ちがちょっと分かった気がしたけど、娘には「これからの私と終わったお母さんでは持ち物が違うから一緒にしないで」って言われてちょっとへこんだなあ。

で、先日タリーズに行ったら置いてあったので、つい嬉しくて買っちゃった。

ブラックのビジネス仕様だからコサージュつけて、ちょっと可愛らしくしてみたけど、来月仙台行くからその時はいつものバッグとこのトートバッグで身軽にするつもり。


 

必要十分生活~少ないモノで気分爽快に生きるコツ~/大和書房
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すっかり朝型の生活に変えたので、朝の5時から起きて家事してると、朝、出かける前にはすっかり終わってしまう。

時間が余る。こういうの余暇っていうんだ、やることやって余った時間のことを言うんだって初めて分かった。言葉の意味を体で知るってあるんだなあ。

放送大学ってこういう人のためにあるのね。そういう意味では私、放送大学の学生さんにふさしいかもね。

ちょっと放送大学のこと。

3年次に編入して前期試験の結果で、後期の履修登録を済ましたところ。卒論の計画も提出済みなので、順当にいったら卒業はできそう。一つ一つの課題をチャレンジしてクリアしていくってすごくいい。

自分の欠落感を埋めようとしていた時はすぐ結果が欲しくて焦っていたけど、もうそういうのはやめることができたので、先の事とか考えずにやれているのがすごく嬉しい。
チャレンジする気持ちって初めてかもしれない。

後期はスクーリング(放送大学では面接授業という名称)にも参加するし、英語もやり直してみたいと思っているのでほんとう「学生」さんに戻った気がする。

今朝もがらんとしたクローゼット(ハンガーの数が30くらいになってた)を眺めながら、ほんとうに必要なモノしか持ってないけど、それでも満足しているって思えた。

今日着ていく服はあるし、バッグも靴も時計もアクセサリーもちゃんとある。ただそれがいつも同じというだけ。

仕事に行くにも、お出かけするのも、近所のお買いもの、旅行にいくものいつも同じ。

仕事に行く時も、お出かけの時も、旅行に行く時も、何もない日も朝早く起きて、家事をして、いつも同じ服で出かけて、余った時間に勉強する。

もうこれ以上何も求めなくてもいい自分にとっての「いつもの暮らし」ができるようになっていくのが嬉しい。

「いつも暮らし」をちゃんとして自分を好きになる。自分に欠けていたのはここだったのかもしれない。

私、「ぼくたちにもうモノは必要ない」の著者と同じ気持ちになってる。















かなりがんとし始めたクローゼットを眺めていたら、ふと自分は「すべて持ってるなあ」って思えた。

欲しいモノ、欲しかったモノはもう既に、全て持っている。ほんとうにそう思えたの。

これって、「ぼくたちにもうモノは必要ない」の中でも語られてるけど、今持ってるモノに感謝する気持ち、ここに存在していることだけであり難いって思えるようになるから不思議。

思えば私はいつも自分の欠落感から、これがあれば、あれがあればってモノを求めている時期があったし、持たない暮らしを始めてからも、

「お菓子が作れる素敵なママなれば・・・。」

「綺麗な手紙を書ける人になれば・・・。」

「素敵なフラワーアレンジができる人になれば・・・。」

「おしゃれなカフェみたいな暮らしをしていれば・・・。」

そうすれば、そうなれば・・・・・・。

本当に自分がしたいことなのかどうかも分からずに追い求めていたような気がする。

気が付いたら求めていたことはできていたし、そうなりたいって思った人にはなっていた。

(ギターが弾ける人だけは無理だけど)

でも自分の欠落感はいつまでたっても埋まらない。まだあれが足りない、これが足りないって。

後は残りの人生であれして、これしてってキリがない。いつも何かに焦っているような人になってしまう。

もう人にどう思われるかを気にして何かを求めるのはやめようと思うのよね。

もう欠落していてもいいんだって。人はみんな不完全な存在なんんだから。

まだ足りないリストの中に、「定年のない仕事を持つ」というのがあったけど、これももう持っていることに気付いたの。

家事をきちんとしてちゃんと暮らすことは女子(もちろん男子も)一生の仕事。

掃除、片付けはずっと続けていくし、関連した勉強もずっと続けていくつもり。

いつかはこれで報酬をいただけるようになればいいなとは思うけど。




 






















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