まだお片付けしてないの?

web整理収納アドバイザーのbeeです。アメブロからお引越ししてきました。今までアメブロでは自分の友人に向けて書いてきたので、あまり言いたいことが言えなかったので思い切って新天地でやり直すことにしました。 ネットの世界は年齢も性別も経験も関係なく自分を表現できる場。 私は自分の同世代±10歳の方々に向けて声を大にして言いたい! まだお片付けしてないの? このままじゃ人生終わっちゃうよ。 お片付けして大人可愛い人生を送らない? 年齢なんて自分についた記号や数字にすぎないでしょ。 お片付けして、お家を綺麗にして、大人可愛くなって、ローコストで暮らす知恵を持つ。 それを実践していくブログです。

お片付けができない人に伝えたいたった2つのこと。 1・お片付けができないのはあなたのせいじゃないの。お片付けの仕方を知らないか習ってないだけ。片付けや整理についての学術研究はなされてないの。だからちゃんとできるほうが不思議なくらい。 2・お片付けの基本はたった2つ。それを「こんまりさん」はときめきって言ったの。 じゃあ、どうするの?それはこのブログを読んでね。

ミニマリスト

ミニマリスト:最小限主義者

自分の私物を処分するのは勝手だけど、家族共有の物を処分する時は一応確認するようにしています。
今朝は常備薬の入っている引き出しの中をちょっと整理してから出勤予定。

爪切りって買った覚えがないのに、5つもあった。
自分があまり使わなのでなんとなく存在していたのだけど、家族がどれを使っているのか良く分からないので、確認してから使わないのは処分しようとしたら、主人に「まだ仕えるのに」と何気なく言われてしまった。
私がこういう生活スタイルなので、処分してることにはあまり何も言わないのだけど(すっきりした生活空間というベネフィットを享受しているからね)、何気なくそう思っていることを言ってしまうのだろうな。ごめんよ~、なんでも捨ててしまって。

人が物を持つ理由の一つが「まだ使えるから」。
確かに使えるけど、使わないのも事実。使わないから処分するのだけど、なんとなく責められている気がしてしまう。

「人は物を所有しているつもりでも、いつのまにか物に支配されてる。」って誰の言葉だったろう。
物を使っているときは主体は自分にあるけど、使わない物は主体が物になってしまって、使わない自分が悪いような気になってしまう。
だから部屋の中で目に入る物は全て必要な物だけにしたいのかも。

と、いうわけで使わない爪切りは処分してしまったのだけど、片付けてるようでもまだまだ捨てきれない物がある。

ミニマリストまでの道はまだ遠い。

 







ミニマリスト:最小限主義者

クローゼットのミニマム化進行中。
ほんとうに着る服だけ、この服何かと合わせたら着られるとか、着ないけど高かったからとか、服を見た時に「何かを思わされる服」は全て処分することにしました。
この服を活かすにはどうしたらいいかとか考えるの苦手。というか面倒くさい。
ほんとおしゃれさんじゃないから。
服のコーディネートが得意な人、リフォームが得意な人って羨ましいとは思うけど。

そう思うと、ワンピースってよく出来てる。
一枚あればコーディネートで悩むことない。ジャケットとカーディガンがあれば十分で生地がよければそれなりに見えるし、取得コストも半減する。
あと、あまり流行に左右されないクラシカルなワンピースを揃ええるようにしてる。
(これだけは年の功だなって思える。)

今、どこでも夏服のバーゲンセール開催中なので、昨日ワンピース一枚だけ購入(ほんとお安い)。
これでワンピース6枚目。
ワンピース10枚で一年中過ごすのが当面の目標。

さて、買ったのがノースリーブでミニ。
自分でもどうかしてるとは思うけど、つい先日「アドバンスト・スタイル」観てきたばかりで、高齢のお姉さま方が「ファッションは自分の身体で着て表現するもの」と堂々とおっしゃていたので、「大丈夫。着られる。」って自分に言い聞かせてる。

自分がワンピースの利点に気が付いたことが嬉しくて、つい娘に

私「スカート・パンツとシャツ、カットソーとかの組み合わせっておしゃれだと思って自分がしているようでも、実はさせられてるんだよね。女の人により多くお金を使わせる仕組みが確立してる。こういう世界で生きていくのは大変だね。」
娘「お母さんだってワンピ買った時点で同じじゃないの?オワコンのお母さんと一緒にしないで。
そんなにお金のかからない女になりたいんだったら、ワンピなんて言ってないで体に布を巻き付けて過ごせば?
尊敬するマザー・テレサはサリー2枚で過ごしたんでしょ。真似すればいいじゃない。」

私「・・・・・・。学校の3者面談それで行っていいならそうしてもいいけど。」

娘「・・・・・・。」

 










放送大学の3年次に編入して「心理と教育」のコースを履修中。先週の日曜から今週末まで、前期の単位認定試験期間。履修が認められなけば、後期に自動的に再履修となる。
再履修多そうだなあ~。

なんで「心理学なの?」って聞かれることがあるのだけど、50歳くらいから自分に起きてきたこと、思ってきたことの意味を知りたかったからなのかな。

エリクソン(エリク・ホーンブルガー・エリクソン(Erik Homburger Erikson, 1902年 - )は、アメリカの発達心理学者。「アイデンティイ」の概念を提唱したことで知られる。)のライフサイクル論によれば、人生を8段階に区分して、それぞれに発達課題と心理社会的危機、重要な対人関係、心理社会的様式が設定されている。

で、今の私はライフサイクル論でいう、7番目の成人期(壮年期)にあたる。
この時期の発達課題は生産性。次の世代を育てていくことに関心をもつということを意味する。結婚して子どもを育てることだけでなく、仕事で次世代を育てるとか、地域社会で貢献するなど社会的な業績や知的、芸術的な創造もこの中に含まれるとした。
この時期に自分自身にしか関心を持てずにいると、停滞を起こし、うまく乗り越えられないとされている。
8番目の人生最後の「自己の統合」がうまくいかなくなるらしい。

この時期の発達課題をどうするか。
私は二人の子供は母ではあるけど、いい母親にはなれてないし、また、仕事は30歳で出産を機に退職して以来、15年間の専業主婦を経て、10年近く事務のバイトを繰り返していて、キャリアの形成など程遠い。

同世代の友人・同級生で仕事を続けてきてキャリアを持っている人を見ると、心から尊敬するし、羨ましくも思ってしまう。
また、専業主婦に誇りをもって、お子達を優秀に育てているママ友にも尊敬の念を抱くし、羨ましく思ってしまう。・・・
私ってほんとうにどっちつかずの半端者だなってつくづく思う。

そんな自分で何か次世代に残せるもの、せめて娘には伝えられるものがあるとしたら、6年間続けてきた「お片付けと掃除」くらい。
今は「お片付け」本がブームということもあるので、その本読んだらでもいいのだけど、それじゃあね。やはり自分の言葉で語りたい。

「片付けられないとは何が阻害要因なのか」とか、「ミニマムに向かってしまうのはなぜか」とか、「片付ける」ことに心理学的なアプローチを試みるのもいいまなと思って放送大学の「心理と教育コース」で勉強することにいたのだけど、どっちつかずの自分が嫌で「モラトリアム」の中に逃げ込んでしまったというところもあるのかもしれない。
(FacebookやLINEが苦手なのもそんなところに原因があるのかもって自己分析)

同じような気持ちを持った友人と話したことがあるけど、「それが今なのよ」ということに落ち着いてしまう。まあ、そうなのよね。過ぎてきた時間を嘆いたところで戻ってくるわけじゃない。

54歳の再スタートも悪くない。アンチエイジングもしてるし。
専業主婦としても自信も仕事のキャリアもどっちもないけど、そうじゃないジャンルに自分の身を置くことで発達課題をクリアしたい。

こういうのポジティブイリュージョン(楽観的な幻想=ポジティブ・イリュージョンをもつことが
健康に大きな効果をもたらすという主張)っていうらしい。
ポジティブいる―ジョンは以下も3つのようなこと。

○自分で自分自身を、肯定的かつ積極的に評価している
○望ましい結果をもたらすコントロール能力があると信じている
○自分の将来を楽観視している

今の私は全部当てはまる。心理学の勉強始めて良かったと思うのはこういうことを知ることにあるのかもね。

ということで今日も笑顔で試験に臨んてきます。まあ再履修確実な結果になりそうだけど。


ミニマリスト:最小限主義者

なんか勢いで「私ミニマリストになります」って言ってしまった。
私一人だったらいいのだけど、家族は別だからなあ。
不要なモノは持たない「持たない暮らし」と必要最小限で暮らすというのは似てるようでちょっと違う。

ミニマリストの今風の解釈としては「自分や家族が豊かな生活を送るために必要なモノだけを残して、それ以外を減らす、削ぎ落している人」ということになるらしい。

この「削ぎ落とす」って感覚があるかないかなのだと思う。
「持たない暮らし」とか「こんまりさん」とか、「断舎捨」ではそこまでいかない。
ネットで「ミニマリスト」さんの画像を見るとほんと、すっきりを超えてる。

私の場合、無性に「物を減らしたい」という時期と、「新しく揃えたい」という時期が交互にやってきて、部屋の見た目のおしゃれ感にもこだわってしまう。

今はまた「物を減らしたい」っていう気持ちが強くなってきたので、この際「ミニマリスト」として最小限にしてしまおうと思ったのだ。

なので、今は自分の私物(服とか靴とかバッグとか等々)と格闘中。
リビング、キッチンはそれが終わったら。




映画「アドバンスト・スタイル そのファッションが人生」観てきた。
 

気になっていた映画で、もう公開終わっちゃったかなと思っていたら、友人かのメールに紹介されていて、なんかシンクロニシティイ(共時性)感じたので。
渋谷のアップリンク今、まだ上映中。
ちなみに私、学生料金。放送大学の3年生なの。放送大学の事務局の方から、「あなたは学生なんだから、どんどん学生証を提示して学割を受けてくださいね。」って言われていたのだけど、なかなか機会がなくて、昨日初めて。学生証を提示するとき、ちょっとびびったけど、ちゃんと学生料金で見られた。
65歳から95歳までの7人のマダムたち。ニューヨークを闊歩する強烈な個性。ファッションの国、フランス人は服10着というのに・・・。
ファッション、自分の体で服を着こなしアートとして表現する。生きることを楽しむ姿は自由で羨ましい。
年齢に怯むことなく、自分のセンス、才能を信じて同調しないて生きるってこういことなのね。さすがだわ~。
まあ、さすがに真似はできないけど、日本人だし、おしゃれさんでもないし、第一、服もアクセサリーも持ってない。ミニマリスト自認してるので・・・。
でも、これからワンピース買うときはできるだけ、華やかな生地のもの選ぶことにした。

昨日は隅田川の花火大会の日で、渋谷の街にも浴衣姿の若いお譲さんが沢山歩いてた。
浴衣、色とりどりで、柄も大きくみんな可愛く似合ってるなあって見てたのだけど、女の人服ってやはり街を彩るものであったほうがいいなって。

映画の7人の女性たち、刺激的な程カラフル。ニューヨーク、マンハッタンだから似合うだと思うけど。

でも私が派手なワンピース着ても「枯れ木も山の賑わい」言われるだろうなあ。
日本ってこういうことにやぱりちょっと自虐的。




↑このページのトップヘ